ほんとうにやりたいこと、の表現方法はなんだっていい。
さて、今日は私がたぶん幼稚園くらいから感じていたことを含めてざくっと書いてみたいと思います。
幼稚園の記憶あるの?とよく言われますが、そうですね、写真を見てこの時こう思っていた、とか大抵思い出せます。
でも記憶って曖昧だからね、話半分でいいです笑
私がヨガを教えているというと、出会う人や友人に
『ヨガが本当にやりたいことなんだね(OLやめてヨガ教えているから)』
『ヨガをするために産まれてきたんだね(20年以上やってるから)』
『夢を叶えたんだね(それなりに活動しているから)』という
「ヨガ限定」
に近い表現をされるたびにすごく違和感がありました。
夢を追い求める人、夢があったほうがいい、と考える人にとっては、「夢を見つけた人」という扱い、人には役割がある、と考えている人にとっては、それは私の「天職」だと思われるのでしょう。
今の私の状態は、私の中では夢でもないし、多くの人が考えるような天職でもないと思っています。
私は自分の感じることに敏感に生きてはきたけど「好きなことだけをしてきた」「好きなことだけをしてきたのでいつもハッピー」なわけではないと思っています。もっと夢のあること言った方がいいですかね?笑
好きなことをしなさい、はある側面ではそうだし、自分を気分良くさせる方法を知っていることは、強いな、と思うのだけど、自分中心にわがままに「楽しみや喜びのみが正義」とするような生き方は、ある意味危険だなあ、とさえ思います。
その「違和感」の正体の一部を綴ります。(途中で思いついたら加筆したり修正したりするかも)
みなさんには当てはまらないかもしれないけど、私の物語が何かしら足しになったりならなかったり、、。
ひねくれもののたわごとなので、付き合ったるか!という方のみお進みください(笑)
私は高校生の時に『いろいろな職業を渡りあるこう』と決めました。
それは「1つの道に限定」する人生になんとなく違和感があったからに他なりません。
そうしようと決めたのは、たくさんの人に会ってたくさんの経験をする、ということはもちろんその理由のひとつだけど、なんとなくそうしたというよりは、ものすごくいろんなことを考えまくった末の結論でした。(小中のいじめ体験によるところも大きい)
私は「夢を持て」とか「夢を持つっていうことが素晴らしいんだ」という「流行り」のもと育った世代だと思います。親の教育ではなく、社会の雰囲気として。
夢なんてなかったけど、幼稚園の頃は「人と違う事いえばおもしろいかな」というノリで「ニンジンやさん」というニンジン限定の八百屋になりたいと言った覚えがあります。あまりセンスはなかったようですね苦笑
私はその後も、
「夢なんてなくてもいいのになあ。ぜんぶ変化し続けてるしそれだけで楽しくないか?」
と思っていました。
何かドラマティックな変化を求めずとも、私たちの日常は変化しかなく、美しいとそう思っていました。
でもそれが、その年齢の「普通」の考えではないことは生きていく中で知りました。
ちょっと苦しかった。いや、結構苦しかった笑
大学生になっても、私はいわゆる「これ」という肩書きに興味を持たず、「わたしはこれになりたい」という人を横目で見つつ、卒業後はとりあえずコスプレ気分で様々な職を渡り歩きました。
何度も言いますが、私は「ヨガの先生」になりたかったわけではないのです。
私の両親は教師だったので、反抗心から「人に教える」という職業を敬遠していたし、そうなる時はそうなるだろうくらいにしか思っていませんでした。
私の興味は、人ってどういうものなのか、意識って何?とか、この宇宙がどうやってできているか、それを日常生活から見いだすことだったし(でもそれに100%の答えを求めていたわけではない)、同年代とは日常で感じていることや感覚が違うようだと思っていたので、その感覚は一体どこと通じているのか、というものと出会う実験として、様々な職場にいったり、自分とは気が合わなそう、と思われる場所や人とのつながりを積極的に楽しむことにしたのです。中学時代には瞑想を始めていたので、内側を眺めることに一旦区切りをつけて、娑婆に出る、といった時期ですね笑
同じ場所や同じ人と過ごすことも楽しく有意義だと思うしそれを否定する気はさらさらないのだけど、私はとにかくいろいろ知りたかったし体験したかったんです。
それに、同じ場所にいると「自分の常識」が知らず知らずのうちに固まってしまうので、それを壊す意味もありました。
どんな人と会うときもどんな場所に行くときも、できる限りフラットな人物でありたかったのです。
たとえ自分がある分野を極めたとしてもそれはこの世の全てを明かしたわけでもなければ、人の心を知ったわけでもないので、常に流動する世界や自分や人の心の接触を観察することに喜びを感じていたし、今も同じ気持ちで過ごしています。
派遣会社に登録してみるも、一定期間以上働いていないと職歴にならない、という決まりや、転々とする人にとっては全く合わない履歴書のフォーマットなど、とにかくもやもやしていて『履歴書や職務経歴書にはこう書いて欲しい』などと、派遣会社からすると超絶めんどくさい注文を出したりしていました笑(超絶めんどくさい人ですね)「あなたの職歴では難しいと思う」としぶしぶ紹介してくれた会社でも、面接までこぎつければ雇い先は案外私の生き様を面白いと感じてくれ、職をゲットしてきました。
私は、どの場所にいても目の前の人や出来事の観察をして味わうといういわば「私のやりたいこと」をやっていたのであって、今の場所は私の人生にあったパーツをつなぎ合わせたに過ぎないと思っています。
「これ」という大きな夢や、夢を語ることに面白さを感じていなかったし、私の周りには目の前のことをただコツコツやってきただけで、世の中的には成功したや面白い人生を送っている人がたくさんいました。
人に興味はあるけれど、転々としていく短期間の中で、本当の意味で触れ合うことはできていなかったのかもしれないなとも思います。そのことで悩んだこともありましたが『結局はこの人生は自分しか歩んでないし、歩めないのだ』と何度も忘れては思い出し、確認作業をしながら生きてきたように思います。
今でこそ2つ以上の職を持ったり、リモートや2拠点的な働き方が普通になっていますが「ほんとうにやりたいこと」は自分の人生を(のちに改めて意識的に)つなぎ合わせた先にあるし、やってても意識さえしてないかもしれないし、気がついたら自分の人生そうん感じだったわ、って人結構いると思います。
実際に私の周りはそういった働き方が一般に認知されて、流行する前からそれだったので、言葉ができてそれが「新しい!」ことにされたのでなんとなく逆に息をひそめたい気持ちになりました。(あまのじゃく)
話がそれた。
やりたいことの表現はなんだっていいのである。(なぜか偉人風)
私はどの職業についていた時も、その中に自分の表現やこれ興味あるな、を見出してきました。見た目にはわからないけど笑
でも決してそれは自分にとっていい気持ちがすることだけではないし、それを選択することでいいことだけがあったわけではありません。
ヨガじゃなきゃいけないとも思ったことはありません。違う表現を見つけて、そっちに興味が傾けば乗り換えるでしょう笑
「自分探しをしている人」や「すでに表現してるかもしれないけど世間的に生きてる人」「メディア」に『こうなってみたら』『これはどう?』(こんなに甘くないな、メディアや広告、諸々の圧は)と何度も何度も見せられて、その肩書きや夢に向かって頑張っていたら突然、何事もなかったかのように『今はこれだよね!』と畳み掛けてくる。嘘でしょ、今度はそっち追いかけ続けないといけないじゃない笑 と言う気持ち。
書いているだけでも息切れしてきますね笑
それに乗っかれる素直さ、もしくは鈍感力があればいのだけど『あれ、今まで何やってたんだろう』みたいな空虚な思いを抱える人が生まれてしまう社会。
自分がその「枠」に入れば楽だし、お金が入ってきたりちやほやされたら嬉しいのかもしれないんだけど。
私の夫は、いわゆるアーティストやクリエイターと呼ばれる職業で、主に自分の中にあるものを物体として目に見える形で表現をしています。
目に見えるわかりやすい形で表現ができることを時折羨ましく思ったりするのだけど、私は違ったアプローチで表現をしているしそれが心地いいので、自分が経験できないものを間近で観察できることをとてもありがたく思っています。
自分自身はすべての人がクリエイターだと思っているし、それが地味であろうが華やかであろうが、価値は同じだと思っています。社会的なことで言えば、それはもしかしたら同じ価値は与えられていないかもしれないけれども。
なので、目の前のことをやっていくこと、表現を積み重ねることは多くの人にとってはかなり地味なものになると思います。
毎日私たちは小さな選択を重ねることによって人生を紡いでいます。それが地味であるがゆえに、その素晴らしさが伝わりづらい。
育児とかもね。
言葉を紡ぐこと、私たちの一挙手一投足がすでにクリエイティブであり、他の誰にも真似のできない表現なので、不恰好に見えようが、好きなことなど見つからなくても、その時その時の最善をつくしていけばそれでいいのだと思います。
多分、誰か見てると信じてるし。
なんだかとても長くなってしまいそうなので、今日はこのへんで。
ほなまたね!
Hari Om Om Tat Sat
Rie
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